遠鳴市遠鳴警察署。 霧湧村で逮捕された泥棒は、隣街の遠鳴警察署で取り調べを受けていた。村にある駐在所には、犯人を留置する施設が無い。もちろん取調室などもないからだ。そこで、検事へ送致するような犯罪を犯した者は、遠鳴市の警察署が一手に引き受けている。この泥棒もその一人だった。 担当刑事が取り調べで話を聞こうとするが、肝心なところになると日本語が判らない振りをする。まことにタチの悪い泥棒だった。そこで、大きな街から通訳を呼んでくることになっているのだが、到着するまで時間がかかる。 そこで雑談で泥棒の気心を掴もうとしていた。ところが泥棒は気もそぞろで、落ち着きが無く目線も泳いでいた。何やら様子がおかしいのに、気が付いた刑事は尋ねてみた。「どうした? 随分と落ち着かないな?」 泥棒は黙っている。しかし、時々後ろを振り返ったりしている。何かに怯えているようだった。「…… なあ、さっきから俺の後ろを通っているのは誰なんだ?」 泥棒はとんちんかんな事を言い出した。基本的に取調室には刑事と被疑者の泥棒しかいない。無関係な人物が入り込むことなど有り得ない。「…………」 刑事は薬物中毒を疑って泥棒を改めて見つめた。汗を掻いている風も無い、呼吸が乱れている訳でも無い、視線が落ち着かないのは、逮捕拘束した奴にありがちな事なので良しとする。薬物中毒を疑ったがそうでは無いようだ。「お前の後ろにあるのは窓だ。 防弾の奴だから誰も通れやしないよ」 取調室を誰かが通り抜けるなど有り得ない。入り口のドアは刑事の後ろに一つあるだけだし、窓は嵌め殺しの曇りガラスだ。覗き込むことすら出来ない。「で? どうしてお前は警ら中の警官に自首したんだ?」 しかし、泥棒は再び黙り込んでしまった。自首して置いてダンマリを決め込むのは、この手の泥棒に良くある手口だ。自分が時間を稼いでる間に、盗品を持った仲間を逃がすのだ。こうすると証拠不十分となり、立件を諦めさせて釈放させる。それを狙うやり方だ。(今回も時間が掛かりそうだな……) 刑事はため息を付いた。 その警察署の留置場では、若い警官とベテランの警官と、二人体制で留置場に居る被疑者を見張っていた。別に取り調べとかをする訳では無く、被疑者が送検されて拘置所に行くまでの間、見張っているのが仕事だ。 刑事たちの厳しい取り調べを終えた金田は留置
遠鳴警察署留置場。 留置場では夕方になると夕飯が出て来る。警官たちが配膳をしていると、金田が身体が痒いと言い出した。「身体が痒い……」 ボリボリと腕を掻く音立てながら、格子越しに警官に薬をくれるよう頼み込んでいた。「夕飯を食べた後に塗り薬をやるから、それまでちょっとの間ぐらい我慢してろ」 取り調べにあたる刑事たちと違って、留置場の見張り当番の警察官は親切だ。面倒見もとても良い。それでも、あれこれと注文の多い金田に、辟易していた警官はぶっきらぼうに答えたのだった。「腕が痒い……」 さっきは足だったじゃないかと言われると、痒いところが移動してるみたいだと言い出した。「身体の中を虫が這いまわっているみたいなんだ…… なあ、なんとかしてくれよ……」 金田は気弱になりつつあった。ボリボリと身体を掻いているらしい音が、絶え間なく聞こえていた。「なあ、顔…… 顔が痒い…… 痒いんだ……」 警官が金田の顔を見ると真っ赤になっているのが判る。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!?」 金田は身体を掻く音と共に呻き声を上げ始めた。「何とかしてやんなよ」「煩くてかなわん……」「薬ぐらい良いだろが」 他の留置房からも声が出始める。退屈な留置場生活の中での唯一の楽しみが食事だ。それを邪魔されるのが嫌だったのであろう。「夕食の食い物にアレルゲン物質があったのかも知れないですね……」 留置場の当番警官の一人はそう言った。ひょっとしたらアレルギー性の痒みの可能性があるなと思ったのだ。「今、担当医を呼ぶから静かにするように」 古参の当番警官が扉の外から声をかけた。医者を呼ぶ事にしたのだ。 ほうっておいて虐待したなどと言われると、人権屋の弁護士に付け込まれてしまう。すると奴らはせっかく捕まえた犯人を釈放させてしまうのだ。当然、自分が始末書を書かされるはめになる。始末書はめんどくさいし、昇格試験の成績に響いてしまうのが嫌だった。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!!」 金田は返事の代わりにうめき声で答えた。留置場の中からは相変わらず、”ボリッボリッ”と身体を掻いているらしい音が聞こえていた。 留置場の中で被疑者が自傷行為に走るのはよくある事だ。反省のあまりに自傷行為に走るのでは無い。そんな愁傷な奴は最初から犯罪など起こさない。 裁判を少しでも有利に運ぶ為にするのだ
府前市。 月野美良(つきの・みら)は、ずっと片頭痛に悩まされていた。 頭の奥底から荒々しく神経を引き吊り出されて来るような頭痛だ。良く判らないが他に形容の仕様が無い。片頭痛の痛みは、一般的な外傷と違って、当事者でなければ理解出来ないモノだ。 それでも片頭痛とは高校時代からの付き合いなので、今はある程度は対処が出来るようにはなっている。痛みが始まる前に鎮痛剤を飲んで大人しくしているという、実に消極的な方法だった。 それならば、鎮痛剤を常時飲んで居れば、良いのではないかと思われる。それも不味い。鎮痛剤に慣れてしまい効かなくなってしまうのだ。それに鎮痛剤頭痛という病気もある。脳が鎮痛剤を服用させるために頭痛を起こすのだ。 原因はストレスと言われているが、片頭痛に画期的な治療法は今の所見つかっていない。 そんな美良は府前大学文学部の四回生。今年は卒業論文を提出しなければ卒業が出来ない。片頭痛も痛いが、これも別の意味で頭の痛い問題だ。 そこで美良は卒業論文のテーマに『失われつつある農村の風習』にしようかと考えていた。 美良の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)は同じ大学の講師をしている。彼の研究テーマは『民俗学』である事から、色々と助言を期待して卒論のテーマに選んだのだ。 もちろん、雅史も賛成して全面的に協力を申し出てくれている。 地方の農村などに伝わる祭りなどを、昔からの風習や因習に結び付ける。それを、卒業論文にしようという、良く見かける在り来たりな論文だ。 それでも論文とするためには、ある程度の下調べは必要なので雅史に相談してみた処。『五穀の器』をメインのテーマにしてはどうかと言われた。『五穀の器』とは東北地方に伝わる風習で、五穀豊穣を願って盃に酒を満たしてお祈りをする物らしい。 雅史が研究の対象としている民間信仰の対象物の一つだ。「インターネットを使って情報を集めてみて、後は現地に取材に行って論文の形式にまとめれば楽勝だよ」 雅史は事も無げに言っていた。普段から彼が行っている活動の仕方だからだ。「そ・れ・に……現地取材に行く時には一緒に行くからさ」 どうやら雅史は一緒に旅行に行くという点に関心があるらしい。普段なら年頃の娘を思って門限にうるさい父親も、かつての教え子であり、婚約者でもある雅史が一緒なら簡単にOKしてくれるだろう。「でも
霧湧村。 翌日、美良は自分の軽自動車を運転して、カーナビを頼りに村に出向いた。目的の村に近づくとトンネルが見えて来た。 車が一台通れるような狭いトンネルだ。「ええーーー、ちょっとぉ……」 何よりも薄暗いのが不気味な雰囲気を醸し出している。怖い話は苦手では無いが、そこは女の子だ。独りで進むのに躊躇しているのだ。 山を迂回すれば行けない事も無いが時間が掛かってしまう。余計な手間を掛けたくない美良はそのまま進む事にした。 しかし、トンネルに差し掛かった瞬間、誰かに『入るなっ!』と警鐘を鳴らされた気がする。耳ではなく頭の中に直接響いた気がしたのだ。 美良は思わず車を停車させてしまい、辺りの様子を伺ってしまった。だが、誰もいない。前を見ても後ろを見ても無人だった。 そして、人が隠れている気配も無い。(気のせいか……) 美良は自分の気のせいだと言いきかせて、そのまま車を村に向けて走らせた。 霧湧村に辿り着いた美良は村役場に向かった。ネットである程度は調べたが詳細は村の人に聞く方が早いからだ。「あのー、すいません。 月野美良と申します」「はい、どんな御用でしょうか?」「鎮守の祭りに詳しい地元の方を紹介して頂けないでしょうか?」「良いですけど…… 雑誌か何かの取材ですか?」「いえ、大学生で民俗学を学んでおります。 大学の論文を作成するために、祭の事を尋ねに来たんです」「ああ、そうですか! それはそれは……」 村役場で来訪の目的を伝えると、村の役人たちは大層喜んでくれてた。 何も無い田舎の村に、都会から若い女性が来ることが、珍しいので嬉しかったのであろう。自ら案内役を買って出てくれた。 村の史跡を巡っている時、村の一番高い山に登ると眺めとは裏腹に寂れた神社があった。昔は神主も居たのだが村人の減少に合わせて無人となり、村人たちが交代で境内の掃除などをしているのだそうだ。 美良の目的だった鎮守の祭りは、春先に行われるだけなので見学したければ、その時に来るしか無いと言われてしまった。美良は神社の成り立ちなどを聞きながら、論文用に何枚か写真に収めていった。「先日、泥棒が入りましてね。 大したものが無いのが気に入らなかったのか、扉なんかを壊していきやがりまして…… まったく、神さまに畏敬を持たない輩には困ったもんですわ」 案内してくれた村役場の人
府前駅ホーム。 美良は大学から自宅へ帰宅の途についた。時刻は夕方近くになっているので大学の中に人が少なくなっているからだ。 大学近くの駅のホームで電車を待っていた。すると、ホームに流れる電車のアナウンスに、何かの音が混ざっているのに気が付いた。「……」 リズミカルな小太鼓と笛の奏でる小鳥の様なさえずり。祭囃子だ。場違いなお囃子は、まるで日の暮れを追いかけるようにして、ホームの中を右に左に揺れる様に奏でていた。「え、祭り囃子? 」 ここは大都会の駅の中。確かに近くには古い神社があるが、今は祭りの時期では無い。 加えて美良は片頭痛が始まりつつあった。心臓の鼓動に合わせるかのようにズキンズキンと来る痛みに耐えながら、バッグから鎮静剤と水のペットボトルを取り出した。「え? 何でお囃子が片頭痛の合図なの??」 片頭痛とは不思議なもので『これから始まるよ』みたいな合図があるのだ。 人によって異なるが、美良の場合は目の前の光景がキラキラと異様に眩しくなるのが合図だった。しかし、今回は祭囃子が合図になっているようだ。普段と違う出来事に違和感を覚えた。(やっぱり、あの村に行ってから、何か変な事ばかり……) 不測の事態に戸惑ってしまったが、ズキンズキンと来る痛みに顔をしかめ始めた。こうなると痛みが去ってくれるまで大人しくするしかない。手持ちの鎮痛剤を水で飲み込んで、ベンチに座って痛みをやり過ごそうかと考えている時に、駅のホームの端に黒い影を見つけた。「なんだろう……」 その黒い影は小さくてはっきりとしていないが、ぼんやりと人の形をしているのは判る。背丈は小学生の低学年くらいだ。それがフラフラとホームの端を行ったり来たりしている。「……幽霊?」 美良は咄嗟にそう考えた。それをジッと観察していると雅史の顔が浮かんできた。『死後の世界なんて在りはしない。 情報が消失して終わりなのさ。 幽霊だの輪廻転生だなんて、宗教家がお布施目当てに言っているだけだ』 恋人の雅史がそんな身も蓋も無い事を言っていたのを思い出した。しかし、今、自分の目の前に幽霊らしき者がいる。 美良はフラフラとした足取りで駅の端まで来た。黒い影に誘われて仕舞ったのかもしれない。 それは、何となく黒い影と手を繋ぎたいと思ったのだ。プアァーーンッ! 侵入してきた電車がけたたましく警笛を鳴
府前市。 宝来雅史(ほうらいまさし)は焦っていた。 婚約者の月野美良(つきのみら)の行方が分からないのだ。 自分を置いて北関東にある村に、一人で取材に行ったのは知っていたが、その後の行方が分からなくなっているのだ。もう一週間も連絡が付かない。自分だけでは無く家族や友人たちとも連絡が無いそうだ。 取材そのものは旨くこなして、一旦自宅に戻っているのだが、大学の帰りに雅史宛てにメールを送ったのが最後になっている。『相談したい事がある』 そんな内容のメールだったが、肝心の相談内容が書かれていなかった。それを最後に彼女と連絡が取れなくなっているのだ。 携帯に電話するも『電源を切っているか、電波の届かない所に居る……』のアナウンスが繰り返されるばかりで要として繋がらない。メールを送っても返事が返って来なかったし、留守電にも返答は無かった。 美良の父親であり、自分の高校時代の恩師でもある月野恭三(つきのきょうぞう)にも聞かれたが、美良と喧嘩などのいざこざは起こしていない。 生来のめんどくさがりの雅史と違って、美良は父親に似て結構まじめな性格だ。家族にも自分にも何も言わずに姿を消すなど考えられない。 美良の父親と相談した結果、警察に捜索願を出す事にしたが、これといって手懸かりが無い状態になっている。 唯一、分かったのが帰宅の為に電車に乗った事と、なぜか美良の車が無くなっている事だ。 彼女が行方不明になったと思われる日はガレージにあったと母親が証言していた。(じゃあ、美良は一旦帰宅してから車で出掛けたのか? どこに??) 美良が行方不明になる前に取材に行った村に電話をかけてみたが、村から帰った後で美良が尋ねて来た様子は無いとの事。 狭い村なので目立ちやすい若い娘がうろついていたら直ぐに判るとも言っていた。何か協力できることがあったら何でも相談してくれとも言ってくれていた。 そこで雅史は一度村を尋ねてみる事にした。現地に行かないと美良が何に巻き込まれたのかが分からないからだ。 美良が卒業論文のテーマは『失われつつある農村の風習』。 それを助言をしたのは自分だ。「やはり、一緒に行くべきだったのか……」 雅史は後悔していた。近場と言う事もあり、安心していたし無事に帰って来れたようなので、何事も無かったのだろうと油断していたのだ。(何か面倒事に巻き
更に詳しくネットを使って下調べをしてみた所。霧湧村にはいくつかの都市伝説が流されていることが判明した。『霧湧トンネルを抜けた近くに、日本の法治が及ばない恐ろしい集落『黒霧湧』があり、 そこに立ち入ったものは生きては戻れない』という如何にもな都市伝説だった。霧湧トンネルは村の入り口にあたる部分にあり、地図で見た限りではどうって事の無い普通の生活トンネルだ。 雅史はインターネットで別の都市伝説も読んでいた。霧湧村は閉鎖的も閉鎖的で祭りには絶対に部外者を招待しない、一説では人喰いの風習があるらしいとの眉唾な噂もあり、もう少し詳しく調べてみる必要があるとも感じていた。 日本全国各地に俗に『パワースポット』と呼ばれる地脈の集結点や、大地の『気』の湧出点があり、そこを巡る旅行が流行っているが、村にもそういう場所があるらしい。 但し、村にあるのは『ダウンスポット』と呼ばれる物だ。『パワースポット』は自然エネルギーを大地から放出するが、『ダウンスポット』は逆に持って行くのだそうだ。『パワースポット』事態なんだか胡散臭いが、『ダウンスポット』の存在があるのなら見てみたい衝動に駆られていた。 それに自然エネルギーという考え方も、ちょっと目新しかったのだ。すべての生き物の生命は自然エネルギーの集合体であり、豊穣の実りは自然エネルギーが移動した結果に過ぎないという考え方らしい。(山神信仰みたいなものかな?) この都市伝説に関しては諸説が色々と書いてあった。元々、山間で狩猟を生活の糧としてきた村人たちは、江戸時代以前より激しい差別を受けてきたために、霧湧集落は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしていた。 または、流行りの不治の病が流行した時に、村人を閉じ込めて棄てられた村である為、下界の人々を嫌っていたともある。人里から隔離されたような場所にあるので、近親交配が続いて血が穢れているとされて、交流を近隣の村から拒絶されたともある。 ただ、これらの都市伝説については根も葉もない噂話であるとも書かれていた。 霧湧は江戸時代中期、元禄四年以前に鹿馬藩庁が城下の地行町に居住していた鉄砲足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。 また、毛皮や山菜、砂金などの交易を通じて霧湧村と近隣の村は良好な関係にあったとも書かれていた。それと腕の良い
「学会が近いのに済まないね。 まったく、美良はどこをほっつき歩いているんだか……」 自分の恩師でもある父親が憔悴したように言ってきた。碌に睡眠を取ってないのか目の下に隈を作っていた。「いえ、自分は大丈夫です。 先生こそ大丈夫ですか?」 雅史は相手を気遣いつつも、お茶を持って来てくれた母親に軽く頭を下げて、鞄の中からいくつかの記事を印刷したものを取り出した。 「実は地方新聞の記事を見ていて気が付いたのですが、美良さんが尋ねた神社や寺には泥棒が入っていたようですね」 雅史は美良が村に行く何日か前に、神社と寺に泥棒が入ったとの記事を見つけていた。大した被害は無かったらしいが、詳細は不明だった。この件は村に行って直接聞いてみる事にしている。 警察に問い合わせても弁護士ならいざ知らず、民間人に教えてなどはくれないのは解っていたからだ。「ふむ…… その泥棒たちと何か問題を起こしたのか?」 美良の父親は、そんな疑念が湧き上がって来たように聞いて来た。隣に座って居る母親も同じようだった。「でも、それだったらメールじゃなくて電話寄越すだろうし、親父さんに相談しますよね?」 雅史は自分にはそんな事は何も言ってなかった。「あっ、そういえば……」 姫星が雅史の話を聞いていて思い出したように言った。「おねぇが村から帰って来た時に、そんな事を言ってたよ」 いつもの雑談だと思っていたので聞き流していたそうだ。「何でも泥棒が神社の本殿に入って、金目のものが無かったのに腹を立てた連中が、中の物を壊して回って村の人が困っていたって言ってた」 姫星は行方不明になる前に姉と交わした会話を思い出していた。「でも、おねぇ自身が何かに困っている風じゃなかったよ?」 姫星が続けて答えた。「あの日も、大学に行く時は普段と変わらずに出かけていったからねぇ」 今度は母親が答える。美良の家族は羨ましいぐらいに仲が良い。雅史が理想とする家族像であった。「じゃあ、泥棒にどうこうされている訳では無いみたいですね……」 雅史が姫星と美良の会話内容を聞きながら答えた。泥棒の一味に捕らえられているのではないかとの懸念があったのだ。「どっちにしろ無断で出かけるような娘では無い。 それで雅史君は、その何とかって村には行って来るのかね?」 父親が雅史に尋ねる。出来れば自分も行きたいそうだが
遠鳴警察署留置場。 留置場では夕方になると夕飯が出て来る。警官たちが配膳をしていると、金田が身体が痒いと言い出した。「身体が痒い……」 ボリボリと腕を掻く音立てながら、格子越しに警官に薬をくれるよう頼み込んでいた。「夕飯を食べた後に塗り薬をやるから、それまでちょっとの間ぐらい我慢してろ」 取り調べにあたる刑事たちと違って、留置場の見張り当番の警察官は親切だ。面倒見もとても良い。それでも、あれこれと注文の多い金田に、辟易していた警官はぶっきらぼうに答えたのだった。「腕が痒い……」 さっきは足だったじゃないかと言われると、痒いところが移動してるみたいだと言い出した。「身体の中を虫が這いまわっているみたいなんだ…… なあ、なんとかしてくれよ……」 金田は気弱になりつつあった。ボリボリと身体を掻いているらしい音が、絶え間なく聞こえていた。「なあ、顔…… 顔が痒い…… 痒いんだ……」 警官が金田の顔を見ると真っ赤になっているのが判る。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!?」 金田は身体を掻く音と共に呻き声を上げ始めた。「何とかしてやんなよ」「煩くてかなわん……」「薬ぐらい良いだろが」 他の留置房からも声が出始める。退屈な留置場生活の中での唯一の楽しみが食事だ。それを邪魔されるのが嫌だったのであろう。「夕食の食い物にアレルゲン物質があったのかも知れないですね……」 留置場の当番警官の一人はそう言った。ひょっとしたらアレルギー性の痒みの可能性があるなと思ったのだ。「今、担当医を呼ぶから静かにするように」 古参の当番警官が扉の外から声をかけた。医者を呼ぶ事にしたのだ。 ほうっておいて虐待したなどと言われると、人権屋の弁護士に付け込まれてしまう。すると奴らはせっかく捕まえた犯人を釈放させてしまうのだ。当然、自分が始末書を書かされるはめになる。始末書はめんどくさいし、昇格試験の成績に響いてしまうのが嫌だった。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!!」 金田は返事の代わりにうめき声で答えた。留置場の中からは相変わらず、”ボリッボリッ”と身体を掻いているらしい音が聞こえていた。 留置場の中で被疑者が自傷行為に走るのはよくある事だ。反省のあまりに自傷行為に走るのでは無い。そんな愁傷な奴は最初から犯罪など起こさない。 裁判を少しでも有利に運ぶ為にするのだ
遠鳴市遠鳴警察署。 霧湧村で逮捕された泥棒は、隣街の遠鳴警察署で取り調べを受けていた。村にある駐在所には、犯人を留置する施設が無い。もちろん取調室などもないからだ。そこで、検事へ送致するような犯罪を犯した者は、遠鳴市の警察署が一手に引き受けている。この泥棒もその一人だった。 担当刑事が取り調べで話を聞こうとするが、肝心なところになると日本語が判らない振りをする。まことにタチの悪い泥棒だった。そこで、大きな街から通訳を呼んでくることになっているのだが、到着するまで時間がかかる。 そこで雑談で泥棒の気心を掴もうとしていた。ところが泥棒は気もそぞろで、落ち着きが無く目線も泳いでいた。何やら様子がおかしいのに、気が付いた刑事は尋ねてみた。「どうした? 随分と落ち着かないな?」 泥棒は黙っている。しかし、時々後ろを振り返ったりしている。何かに怯えているようだった。「…… なあ、さっきから俺の後ろを通っているのは誰なんだ?」 泥棒はとんちんかんな事を言い出した。基本的に取調室には刑事と被疑者の泥棒しかいない。無関係な人物が入り込むことなど有り得ない。「…………」 刑事は薬物中毒を疑って泥棒を改めて見つめた。汗を掻いている風も無い、呼吸が乱れている訳でも無い、視線が落ち着かないのは、逮捕拘束した奴にありがちな事なので良しとする。薬物中毒を疑ったがそうでは無いようだ。「お前の後ろにあるのは窓だ。 防弾の奴だから誰も通れやしないよ」 取調室を誰かが通り抜けるなど有り得ない。入り口のドアは刑事の後ろに一つあるだけだし、窓は嵌め殺しの曇りガラスだ。覗き込むことすら出来ない。「で? どうしてお前は警ら中の警官に自首したんだ?」 しかし、泥棒は再び黙り込んでしまった。自首して置いてダンマリを決め込むのは、この手の泥棒に良くある手口だ。自分が時間を稼いでる間に、盗品を持った仲間を逃がすのだ。こうすると証拠不十分となり、立件を諦めさせて釈放させる。それを狙うやり方だ。(今回も時間が掛かりそうだな……) 刑事はため息を付いた。 その警察署の留置場では、若い警官とベテランの警官と、二人体制で留置場に居る被疑者を見張っていた。別に取り調べとかをする訳では無く、被疑者が送検されて拘置所に行くまでの間、見張っているのが仕事だ。 刑事たちの厳しい取り調べを終えた金田は留置
「人間は不安を感じたときに、自分が見えてたものを、自分の恐怖の記憶に置き換えるのさ。 その幻覚を勝手に解釈して霊現象だとしたがるんだ」 雅史は姫星の手を引いて本堂を出ようとしている。今はアプリのおかげで抑えているが、根本的に解決している訳では無いからだ。「…… じゃあ、幽霊なんかいないの?」 姫星は尋ねた。心霊体験をしたという友人を何人も知っているし、自分でも見た……と、思っているからだ。「そういう訳ではないよ。 本人が見たというのなら、きっとそうなんだろうと思うよ? でもね、確証の無い話を、むやみ信じては駄目だということだ」 雅史は合理的に考える人間だが、他人の信仰まで否定するつもりも小馬鹿にするつもりも無い。 自分に影響が無ければ、勝手にすれば良い考えているタイプだ。だが、他人に自分の信仰を強要する奴は大嫌いだった。「今は防止されているんで見えなくなったのさ」 雅史は姫星に説明しながら周りを見渡した。何も異常が無いが姫星をここに留めておくのは、危険なのかもしれないと思い始めたのだ。そして残念なことに、ここでも美良の痕跡は無かった。「さあ、寺から移動しよう。どうやらここいら一体に妙な音が出ているようなんだ」 雅史は姫星の手を取り先を促した。本堂から出ても若干の異常周波数が計測できている。だが、雅史は根本的な疑問があった。「しかし…… どうして、こんな高周波や低周波が発生しているんだ?」 雅史と姫星は本堂を出て来た。雅史は手元のタブレットのアプリを見てみた。するとさっきまでメーターを振り切る勢いだった、レベルメーターが平常値に戻っていた。本堂の中だけで謎の周波が発生していたらしいのだ。 原因を探るのに興味を惹かれたが、今は姫星の安全と美良の移動した痕跡の確認が優先した。「ほぉ、謎の異常音ですか……」「恐らく低周波音にやられたんだ。 この村には通常では有り得ない特殊な音が発生しているらしい。 なんだか、異常な高周波音と低周波音に包まれている感じだ」 雅史はタブレットを見ながら言った。「低周波音の影響を受けた脳が、幽霊を創り出していたんだよ」 力丸爺さんは話の途中から付いて行けなくなったが、どうやら姫星は大丈夫だとわかると、手に構えていた杖を元に戻した。「そこでアプリを使って逆送波を送り出して打ち消すようにしたのさ」 手にしたタ
宝来雅史と月野姫星の二人は、伊藤力丸爺さんに連れられて、月野美良が立ち寄ったとされる廃寺の毛巽寺へやってきた。 霧湧神社で見せた姫星の体調も気になるが、取り敢えず現地を確認しておく事にしたのだ。一度でも見ておけば考える際のヒントになると思うからだった。 何しろここまでの所、何も収穫が無い。折角、遠路はるばるやってきたのに、このまま手ぶらでは帰れないのだ。美良の母親への言い訳にも困ってしまう。 霧湧神社から伸びる細い路地を南に進み、更に蛇行した林道を進むと、鬱蒼と茂る草木に囲まれて毛巽寺はあった。毛劉寺のような門は無く、そこは古びた平屋建ての一軒家風で、ひっそりと言った趣で佇んでいた。そうは言っても近所の者が庭や境内を交代で掃除しているので荒れ果てた印象は無い。 そして、ここにも泥棒を警戒してなのか、新しい防犯カメラが設えてあった。「今は廃校になってしまったんじゃが、村の小学校が出来る昭和の初め頃までは、ここが学校代わりじゃったんだ」 力丸爺さんはここの卒業生だそうだ。雅史はそんな説明を聞きながら建物の外に居て写真を撮っていた。「バイパスが出来てからは、子供たちは村のバスで、隣町の小学校に通うようになってしまってのう……」 姫星は一人で本堂の中に入っていった。中に入るとそこは床板だけがあり、かつて仏像が設置されていた場所も、柵で囲われた板の間だけだった。見事に何も無い。何か手がかりになるようなものは無いかと部屋の中を見回していると、ぞわりと外とは違う空気の冷たさ感じた気がした。「え? また?!」 その時、姫星は何かが近づいて来る気配に気が付いた。何だろうと思って室内を見回しても何も無い。開け放たれている窓から外を見ると黒い足跡だけが、寺の境内を横切って本堂に向かって来ているのが見えた。ヒタッヒタッと音がする気がする。 やがて足跡は窓の下付近までやってきた。ガチャッと鍵が開く音がして、続いてぎぃーーーっと、木戸が開く音が聞こえ始める。しかし、姫星の周りには木戸などどこにも無い。自分から見える本堂には、襖と障子と木の床板だ。窓の方からはペタッペタッと足音がゆっくりと近づいてくる音がするのだ。 部屋の温度が更に下がったように感じた。間違いない何かが本堂に侵入して姫星に向かってきている。姫星の額から汗が一滴流れた。 姫星は目を凝らして正体を探っ
「きゃっ!」 姫星の目の前に虫が飛んで来た。大きさは二センチ位の黄金色をした虫だ。それを姫星は右手で思わず払いのけてしまった。(ご、ゴキブリ?!) 一瞬であろうと姫星にはそう見えていた。しかし、払いのけたと思った虫は、姫星の右手に引っ付いたままで、ブンブンと手を降っても離れなかった。「ちょ、 何これっ?」 それどころか姫星が見ている目の前で、右手に同化し始めた。最初は手足の部分が手の皮膚に溶けて、次に胴体が溶け始めた所で姫星が悲鳴を上げた。「ちょっと取って! 取って! この虫、取ってよぉーーーーー」 姫星は手を振り回してベソを掻き始めた。「え! えっ?! 何も付いていないよ?」 だが、雅史の目には何も見えておらず、力丸爺さんに至ってはオロオロするばかりだ。「手に付いてる! 手に付いてるっ!」 姫星が左手で右手をパシパシと叩き始めた。「取り敢えず、外に出よう!」 このままでは混乱するばかりだと、雅史は泣きべそを掻いてる姫星を抱える様にして、本堂の外に連れ出した。そして、明るい日差しの下で、改めて姫星のメイド服に、虫が付いてないか見てみたが何もいない。「ねぇ、姫星ちゃん…… 虫なんかいないよ?」 それを聞いた姫星は自分の手を見てみると虫は居なくなっていた。手を振って見たが何とも無い。「あれ?」 自分のメイド服をパタパタとしてみたが、虫はおろか何も落ちてなど来ない。「…… ? ……」 姫星は首を傾げてしまった。確かにゴキブリに似ている黄金色をした虫だったはずだ。「疲れが出てるのかもしれないね…… 一旦、休憩しに山形さんの家に行こうか?」 そんな様子を見ていた雅史は、姫星の体調が悪くなり始めているのでは無いかと、心配になって来ていた。「また、熱中症になりかかっておるかも知れんからのぉ、休んだ方がええじゃろ……」 力丸爺さんが心配そうに姫星を覗き込みながら言った。「ううん、大丈夫。 宝来兄さん…… 次のお寺に行きましょう」 姫星は腑に落ちない様子だったが、先を急ぐ事にしたのだ。何しろ昨日・今日と探索をしているのに、美良の行方を探す手掛かりが何も見つかっていない。「でも……」 雅史は心配顔で言いかけた。「大丈夫だってばっ!」 狼狽えた自分が恥ずかしかったのか、姫星は顔を赤らめて先に歩いて行ってしまった。 雅史は何がな
霧湧神社。 昔話を聞いていた姫星は、怯えているが崇めてもいる。村人たちの神様への畏怖を込めた祭りなのだと思った。「そして、降臨してくださった神様を、昔の人はウテマガミ様と呼んでいたそうじゃ」 力丸爺さんによると、神様が山から下りて来ると信じられていた時代に、修験道者が神卸の儀式のやり方を伝え、村は豊穣に恵まれる様になったと聞いていると話した。「そのウテマガミ様を奉納していたのが、霧湧神社だったんですね」 感心したように雅史がうなづいた。 そんな事を話している内に、三人は霧湧神社に到着した。本殿は平屋の一階建で、泥棒たちに荒らされた為なのか、雑然とした印象を受けた。忍び込むために扉は壊されており、窓に至っては中から外されて外に転がっていた。「あっこに監視カメラとやらを付けたそうじゃ」 力丸爺さんが指差した方に、真新しい監視カメラが付けられている。本殿の扉の上あたりだ。姫星は監視カメラに手を振って見た。『はーい、見えてますよー 姫星さん』 笑い声を堪えているような、山形誠の声が聞こえて聞こえて来た。「にゃっ!」 姫星はビックリしたらしく、その場でピョンと跳ねている。(しっぽがあったら膨らんでそうな位にビックリしてるな……) 雅史はクスリと笑って監視カメラに手を振っている。誠が用があると言っていたのはこれだったのかとも思った。恐らく役場の人間が当番制でカメラの前に座って居るのであろう。『泥棒が入っても誰かが駆けつけるまでに、時間が掛かり過ぎるんで、盗みをする前に声をかけて、退散させる事にしたんですよ』 泥棒をするような人種は、監視カメラで記録されるのを嫌う習性がある。それを利用する為に監視カメラにスピーカーを付加させているらしい。『それでは後程お会いしましょう。 失礼します ―ブチッ―』 スイッチを切る音が聞こえて監視カメラが沈黙した。確かに手軽に出来る防犯方法だなと雅史は思った。 本殿の中に入ると、そこはガランとしていて、一番奥には壊された祭壇があった。祭壇の扉は無理矢理こじ開けられた為、蝶番が外れて斜めになっていた。もちろん祭壇の中は何も無くぽっかりと空間が出来ているだけだ。「結局、御神体は見つかっていないのですか?」 雅史は祭壇の中を見ながら力丸爺さんに尋ねた。「御神体の石は見つかってはおらんかったんじゃ、催事に使う
山形誠の自宅。 朝だ。昨日の夕方に月野姫星の母親が、娘を迎えに来てくれる予定だった。だが、月野恭三がぎっくり腰で入院したため、迎えに来られないとの連絡があった。「分りました、先生にはお大事にとお伝えください…… はい…… ええ、姫星さんはいつもの通りです」 そんな挨拶を姫星の母親と電話口で交わしていると姫星がやってきた。「おっはよー」 姫星は昨日、ショッピングセンターで購入した服を着ていた。「おっはよー…… って、何その服?」 宝来雅史は起きて来た月野姫星の格好を見て目を丸くしている。 頭にヒラヒラの付いたカチューシャ。スクエアネックの黒ワンピースに付け襟とカフス。付け襟とカチューシャには水色の可愛いリボンを付けている。身に着けているエプロンは小振りで腰で結ぶタイプだ。「うん、可愛い…… じゃなくて、何でその服?」 思わず本音が出てしまった雅氏であった。「へ? メイド服だけど??」 姫星は雅史の目の前でクルリと回って見せる。スカートの裾がふわりと舞った。「いやいやいやいやいや、それは見てわかる。 しかし、何故にそのチョイスなんだ?」 確か府前市から車に潜り込んだ時には、黒を基調にしたゴスロリ服だった。今着ているのはメイド服。大して違いがないように思えたからだ。「ん? おねぇから宝来さんはヒラヒラ系の服が好きだと聞いてますが…… 何か?」 スカートの腰の部分をつまんでお辞儀して見せた。確かにヒラヒラ系の服は好きだが、この村の風景にそぐわないような気がしたからだ。それに目立ってしまう。「いえ、なんでも無いです……」 雅史は他にどんな事を伝えられているのだろうかと考え込んでしまった。「……」 どうやら雅史に気にられたと思った姫星はニコニコしていた。 姫星は未明の不審者の事は内緒にして置くことにした。雅史の性格上、姫星に危険が及びそうなら、中止して引き上げると言い出しかねないからだ。それでは肝心な月野美良の手掛かりが掴めない。 雅史は伊藤力丸爺さんに頼んで霧湧神社に付いて来てもらった。山形誠は役所の仕事があるので案内を頼めなかったのだ。 力丸爺さんは姫星の格好を見て『ほぉ、ほぉ、ほんにメンコイのぉ』と顔を綻ばせている。ほっとくと懐から小遣いを出しそうな勢いだ。 雅史は神社に向かう道中に霧湧神社に纏わる話を力丸爺さんに聞いた
山形誠の自宅。 その日の夜中。午前二時くらいだろうか。姫星はなんとなく目が覚めてしまった。 姫星は生来寝付きが良い方で一度寝てしまうと朝まで目が覚めることは無い。毎朝、姫星ママは姫星を起こすのに苦労しているくらいだ。 室内には月明かりがカーテンを通して漏れて来ている。屋内には物音一つしない。全員、眠っているのであろう。 壁時計の秒針が刻む音が僅かに聞こえているような気がしていた。「?」 別段トイレに行きたいわけでは無い。喉が乾いているわけでも無かった。「……」 誰かがスマートフォンにメッセージを寄越したのかと、端末を覗き込んでみたけどそんな事は無かったようだ。 何故か目が覚めたのだ。「ふー……」 少し溜息を付き、もう一度寝なおそうと布団を被りかけた。 その時。ジャッ…… ジャッ…… 窓の外からの聞こえて来る物音に気が付いた。それは砂利をゆっくりと踏む音だ。 誠の家の庭には、防犯用に敷き詰められている玉石がある。それが踏まれる音なのだろうと推測した。「…………」 姫星は目が覚めた理由が解った気がした。この不審な音に呼び覚まされたのだ。 それは、窓の外を誰かが歩き回っている気配だったのだ。(どうしよ……) 不審者が自分の部屋の外をうろついている。その事実に気がついた姫星は蒲団の中で固まってしまっていた。 いくら、活発だと言っても所詮は女の子だ。当然、不審者と体重計は恐い。(宝来さんは隣の部屋だし……) 宝来は遅くまで何かの資料を読んでいる音が聞こえていた。恐らく、今頃は夢の中に居るに違いない。 姫星は布団の隙間から部屋にある唯一の窓の方を見た。窓には薄緑色のカーテンが懸かっているはずだ。そのカーテン越しに人影が動いているのが見えていた。(どうする…… どうする……) 村に来てから常に誰かに見られている気配を感じていた。窓の外を移動する気配。不審者はカーテンの隙間が空いている事に気がついたらしく近づいていくのが見えた。不審者はカーテンにある細い隙間から中を覗こうとしているようだ。 姫星は手元にあった化粧ポーチを手に持って布団をそっと抜け出した。そのまま、忍び足でカーテンの脇にある壁に張り付いた。「……」 そして、ポーチの中を弄って携帯電話を取り出した…… はずだったが手にしたのは手鏡だった。(あっ、スベッターを
「いえ、足場も何もない木ですよ? 十メートル以上の高さで吊るされていたんです。 それに……」 日村は現場を知っているし、死体を降ろすのを手伝ったりもしていたのだ。「それに?」 雅史は言い澱んだ日村に先を促す。「全身の皮膚が剥がされていたんです」 日村の一言で聞いていた一同は黙りこくってしまった。「まさか、美良が殺したとか?」 突然、雅史が突拍子も無いことを言い出した。「いや、それは無いですわ。 十メートル以上の高さに吊るされていたんですよ。 女の子の力では無理ですわ」 日村が首を振って否定した。雅史は自分でもそう思っている。僅かな可能性でも潰しておくのが、人探しのセオリーだと聞いていたので、あえて質問したのだ。 日村の話では死んだ尾栗の死体を検視した結果、盗みをした当日に死んでいたのだという。そして、信じられないことに尾栗は生きたまま皮をはがされているらしい。検死した結果には、生活反応が有ったのだそうだ。「一番の分からないのは…… 吊るされていた尾栗が微笑みながら死んでいた事なんですよ」 警察の話では自殺の線で落ち着くのではないかとも言っていた。死体の表情が不可解でも他に考えようが無いのだそうだ。「え? それでも殺した犯人がいるんでしょう?」 雅史が驚いて尋ね返した。木にぶら下がっていただけなら自殺の線もあるが、全身の皮が剥がされているのなら話は別のはずだ。しかし、警察はそこまで踏み込んで捜査はしないらしい。「相手が人間ならねぇ…… 普通の人間にあれは無理でしょ、真実が常に正しいとは限らないんですよ」 日村は事も無げに答える。この村は神様との距離が近いのかもしれないなと雅史は思った。「じゃあ、泥棒一味は姉とは面識は無いんですよね?」 泥棒一味の話の顛末を聞いた月野姫星は日村に尋ねた。「日付も違うし出会う機会が無いと思いますよ」 日村は姫星に答えた。「木下に連れ去られたという可能性は無いですか?」 姫星が一番気になる点を聞いてみた。村に来た時に偶然出会う可能性もあるからだ。「それも無いと思います。 あんな不可解な目に逢ってるのに、いつまでも山の中を逃げ回るとは思えないので……」 恐らく神社に向かうふりをして脇道に入って、金田の目を逃れたのではないかと警察は推測しているらしかった。それに美良は一度自宅に戻っている。泥棒の